怒りとは集中である
昨日、登山を終えての帰りのことであったが、
私が運転する車の前に、観光バスと一台の車が走っていた。
「日曜であるし、多少道が混んでいるのは当然のことである。」
(理性では分かっているつもりである。)
しかし、徐々にスピードの遅さにイライラしてくる。
「観光バスは良しとしよう。遅いのは当然である。そういうものである、、、だがしかし」
私のイライラは、観光バスと私の車の間にある一台の車に集中していく。
「追い越せる斜線で追い越さないし、バスとの距離を詰めたり離したり何がしたいんだ!」
「訳のわからないところでブレーキを踏むなよ!煽られてるとでも思ってんのか!」
事細かにその車の運転にチェックを入れ、心の中で悪態を付く。
そしてとうとう、イライラが爆発して、結局強引な追越をしてしまった。
私の運転マナーの良し悪しは横に置いておくとして、ここで重要なのは、
①怒りの状態は、怒りの対象に心を囚われている状態であり、ある意味でその対象に集中している
ということである。
いつもイライラするあの人であっても、遅すぎる車であっても、耳障りな工事であっても、
怒りを感じるときは、その対象に集中しているのである。
、、、と言うことは、
「わざと気を散らす、集中しないようにする」ことによって怒りを減らしたり、消したりできるのではないだろうか。
今日一日実際にやってみての結果ではあるが、まさにそうであった。
イライラの芽を感じた時点で、対象を意識の外に追いやったり、別の集中が必要な作業を行うことによって、いつの間にかイライラが消えてしまうのである。
イライラや怒りに囚われたとき以下の言葉を思い起こそう。
「怒りとは集中である。故に集中を崩せば、怒りもまた崩れ去る。」
主旨は以上だが、おまけを一つ。
「走ったり運動した直後は、一種の興奮状態になる為、怒りを感じ易く、攻撃的な行動になり易い」
なので体の為だけでなく、心の為にもクールダウンは大切である。
逆に考えれば、心を徹底的にクールダウン(無感情?無我?)すれば怒りに対して強力な耐性をつくることができる、とも言えるかもしれない。
なかなか実用は難しいかもしれないが、怒りでパンクしそうな時の緊急避難としては使えるかもしれない。
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